■遺書。(ひこうきぐも:ピオニーsaid) |
初めて知ったのは、いつだったか。 すぅ、と透けた自分の手を見て、何だか背筋がぞっとした。 「え?え、え…なん、だコレ…」 何も分からなくてただ、戸惑い、言葉にならない声を洩らす。 痛みは無い。何も感じない。ただ、透けている。 自分の目がおかしくなったんじゃないかって思って、目を擦ったけれど 「どうしました、ピオニー」 変な動きをしている俺を不審に思ったのか、ジェイドが後ろから近づいてきた。 「ジェ…」 ジェイドは物知りだから、きっと教えてくれるに違いない。 そう思い、尋ねようとしたが、俺は咄嗟にその言葉を飲み込んだ。 何故だか、言ってはいけない気がしたから。 「?ピオニー?」 「な、何でもない!それより何かお腹空いた!」 慌てて言葉を濁し、適当な言葉ではぐらかすと、スルリとジェイドの横を通り抜けた。 駄目だ、聞いたらいけない。 聞いてしまったら何かが崩れる感じがする。 もし、別に何も異常が無いなら、余計にジェイドを心配させるだけだ。 異常だったとしても…ジェイドに悲しい顔はさせたくない。 …生まれて初めて、ジェイドに隠し事をした。 それはとても自分の心を引っ掻く気分なんだと、初めて知った。 ジェイドが珍しく出掛けてすぐ。 俺はジェイドの書斎へと走った。 何の変哲も無い本ばかりだけど、実は知っている。 本棚の奥に、本が隠されている事を。 きっと、俺に見せない為に隠した本。 その本には、ジェイドの名前が書かれていた。 「音素…振動数…複製」 難しい言葉の羅列だったが、何とか単語だけでも読み取る。 音素学は少しだけ教わっていたから、何とか大体の意味が理解できた。 ジェイドが昔何をしてて、どんな研究をしていたのか。 俺が知っているジェイドはこの家の中のジェイドだけ。 外のジェイドも、過去のジェイドも知らなかった。 文字を目に入れれば入れるほど、それらが見えてくる。 自分は、何なのかも。 「…………」 本を閉じ、目を閉じる。 全てを、自分は知ってしまった。 ジェイドは昔、禁断の研究をしていて。 ジェイドは昔、マルクト帝国の軍人で。 皇帝の懐刀と呼ばれるくらい、凄い人で。 そして、その時のマルクト皇帝は。 『ピオニー=ウパラ=マルクト』 「………」 ……自分の、被験者だ。 何故だか無性に泣きたくなった。 無性に、言いようの無い気分になって、自分の身体を抱き締めて座り込んだ。 ああ、自分は。 自分は『自分』ではなかった。 皇帝の、複製。 ジェイドの大切な人の、代わり。 自分はこんなにもジェイドが好きなのに。愛しているのに。 ジェイドがいるなら、何もいらないのに。 いつだって、ジェイドが何よりも大事なのに。 ジェイドは、違った。 ジェイドは、きっと自分の事を見てくれてはいなかったんだ。 俺の通して、本物の『ピオニー』を見ていたんだ。重ねていたんだ。 「ジェイド…」 涙が溢れる。止まらない。 ただ、悲しい。それでも、ジェイドが愛しい。被験者が羨ましい。 俺と同じ人間なのに、ジェイドは複製の俺じゃなくて本物の俺を愛している。 それでも、それでも。 俺はジェイドを、愛しているんだ。 どうしようもなく、好きなんだ。 でも、俺はもうじき消えてしまう。本を読んで、知ったんだ。俺の音素はもうじき それは、きっと変えられない運命なのだろう。 また透け始めた手を見て、そう思った。 消えたくない、死にたくない。 ジェイドと離れたくない。ジェイドを一人にしたくない。 それでも、消え行く自分をどうにも出来ない。 きっと、俺の被験者も同じ思いだったのだろう。 +++ 「ジェイド、見て!」 軽く首を傾げて鉢植えを見るジェイドに、俺は笑顔を浮かべながら渡す。 「花!冬に咲くんだって!な、ジェイド。これ、育ててよ!」 嘘。本当は知ってる。 最近俺は嘘つきなんだ。とても上手な嘘を、一杯口にしている。 「では、咲いてからのお楽しみということですね」 これで、ジェイドは俺が言わなくてもこの花を大事にしてくれるだろう。 ジェイドは、優しいから。 俺はこの花に、『俺達』の名前をつけた。 俺がいなくなっても、ジェイドはこの花を育ててくれる。 この花は、消え行く俺達の代わりにジェイドの思いを受け止めてくれる。 そして花が咲いたら…きっと綺麗な花が咲くだろう。 それはジェイドを喜ばせてくれるだろうと、思った。それを願った。 もう、本当に…自分には時間が無いから。 「…ジェイド。眠れない」 ジェイドが傍に居るのに。
凄く、凄く幸せだ。 幸せと不安が混じり合って、泣きたい。
どうしても、どうしてもジェイドの傍に居たい。 ここで黙り込んだらジェイドが不安になる。 俺は一生懸命、何でもないフリをした。 ジェイドを悲しませたくない。 泣き顔なんて見せて、それがもし自分が見せる最後の顔だったら…嫌だ。 悲しい事はジェイドに覚えて貰いたくないから。 「おや。新しい玩具を今度買って来ようと思ってましたのに。」 …ジェイドの声は魔法みたいだ。 ジェイドの暖かさは、とても落ち着く。 段々、俺は不安が消えていった。 俺は、愛されている。 俺の被験者も、ジェイドに愛されてる。 きっと、次の『俺達』であるあの花も…愛してくれる。
『俺達』を、愛してくれて。
俺は幸せだよ。 だから、俺達に幸せをくれたジェイドがこれから先、ずっと幸せでありますように。 「…おやすみ、ジェイド」 消えて無くなる直前。 俺は静かに眠るジェイドの額にキスをした。 どうか、俺達を忘れないで。 |